
誰でもレクサスLS460に乗ってみれば、「この車はもはや次元の違うところにいる」ことが分かるはずだ。とにかく、一々の作りこみの凄さは伝わる。
ショールームに飾られている同車を眺めているだけでも、ボディのチリの正確さや窓枠のサッシ(三次局面)の一体形成など、細部の手間の積み重ねによって、優秀なCD値が、実現されていることがわかる。
そして、この手間が必ずしも熟練工を介しているわけではないところが新しい。
それでも、高級車市場の技術競争は凄まじいのだろう。
同じ階層に属するE320の7速オートマチックで驚いていたら、こちらは8速だった(!)。
一速余計というせっかくの技術力の見せ場も、私くらいの運転技量ではそれほど魅力あるものには感じなかったが、このレベルになるとメーカーにとっては「技術的に、どうよっ!」くらいの自慢話なのかもしれない。
ここまでギアを刻むのであれば、いっそのことCVT(無段変速)でもいいくらいだが、最近のCVTはあえて「段」をつけて“スポーティ走行”を可能にしているそうだから、CVTだろうがオートマチックだろうが目指すところは一所なのかもしれない。
それでも、なおかつ高級車がオートマチックを選択しているのは、メーカーとして高級車とCVTがどこか結びつかないところが有るからなのだろう。
駆動系に限らず、電子制御された動きはどの部分であっても、あくまで「自然」であり、ウルトラ・スムーズだ。ハンドルやアクセル、ブレーキなどの操作にも一切その介在を感じさせない。
もはや乗っけられ感すらないが、これが普通になると「運転がうまくなった?」と勘違いするオーナーが増えてしまって、かえって危険な気はする。
素晴らしい性能を持っているとはいえ、事実上2トンの物体なのだから、慣性の法則からは逃げられないことを思い知らされたときには、既に後悔できない事態になっていることにもなりかねない。
メルセデス以上に静粛な室内は、Eクラスで目立った空調のファンの音さえもそつなく“ツメ”られている。
アッという間にMAXスピードにたどり着く加速もさることながら、その速度ですらハイギァードな8速を介して、たった2600回転で粛々と回るエンジン音は、緻密に遮断された路面音などと相俟って、静粛この上ない異次元のレベルだと断言できる。
午前中乗ったEクラスが同じセグメントなのが不思議なくらいだ。
こうして乗り比べてみると、Eクラスよりも価格が安く、Sクラスと同等か、場合によってはそれ以上の性能を手に入れることができるのだから「しがらみのない」米国でこそ、売れて当然だと思う。
それにしても、ここまで「無音」にこだわった車はかつてなかったのではないだろうか(だからといって、世界的にレクサスばかりが売れるのかというと、そうとばかりもいえないのが面白いところだが、、、)。
LS460のシルエットは、何故か50年代後半のF1カー、ヴァンウォールあたりを意識させる。長いフロントフードと後半に押しやられたキャビンという視覚的なものだけでなく、最後のフロントエンジンF1として空力を意識しながらも、ミッドシップの新しい波に飲み込まれてしまう滅びの美学が、いわゆるセダンの最後の砦となるかもしれないという危機感と重なってしまうからなのかもしれない。
とことんマーケティングをした結果なのだろうが、不満が出ないところがこの車の欠点なのかもしれない。
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さて、最初の命題は「この二台が好い車か?」というものだった。
二台とも素晴らしく良い車ではあったが、答えは残念ながら「NO」である。
まず、私自身がこの二台のような「高級」とはやっぱり縁遠い人間だったからだと思う。
一番違和感があったのは、今回の二台が「高級」を「理詰め」で体現しようとしているということだった。
生産国のまじめな国民性も手伝って、彼らの目標とする「高級」に向かって、徹頭徹尾、腐心の跡が窺える。
真面目なことは立派なことだが、理論万能思考で本当に高級車をつくれるのだろうかだろうか?という疑問が直ぐにわいた。
その結果として、素晴らしい品質は実現されているのだが、それ以上のものがないからだ。
高級という概念は階級社会が生み出すもので、高級が高級であるためには階級社会が存在する社会基盤が必要になる。高い大衆車では駄目なのだ。
たとえ、商品としてのツメが粗くてもベントレーやマセラティに「高級」を感じるのは階級社会を背景に作られている車だからなのだと思う(格差社会ではない!)。
このメーカーだったら、量産性を度外視してまでブランドの品格を保つ努力をするのではないかと思えてしまう、見えない力が働くのだろう。
そういう意味で、メルセデスは確立されたブランドなのだから、最初から高級車としての評価を受けることができるから有利だ。
しかし、最近の企業生き残りの波は、一番歴史の長い自動車会社に新興レクサスと鎬を削らざるをえない状況を強いている(それだけレクサスの急伸には凄まじいものがあるのだが、、、)。
その結果、どうしても突出した「マイバッハ」ブランドを立ち上げなければならなかったのだろう。
ブランドは企業文化であるから、時間をかけないところには育たない。
メルセデスだって、レースという場を借りて当時のハイテクを使って長い時間をかけて企業文化を育ててきた。
ジャガーだって1950年代からレースを続け、技術を磨くことによって、名声を高めて高級車の仲間入りをした。実は、英国皇室で使われるようになったのはつい最近の話だ。
現代は昔ほどレースに寛大な環境にはないので、おそらく、トヨタは市場という場を借りてハイテク技術を惜しみなくつぎ込みブランド力を高めるしかないのであろう。
さて、そうなると、レクサスが「レース以外のソフト」をどうやって開発するのか楽しみだ。
高級車ブランドが相次いで他メーカーの傘下に入り、奇しくも、今回は最後に残った自立ブランドの2メーカーの二台を試乗することができたが、結果として軍門に降ったブランドのほうが魅力的だと思えるのは皮肉な話だ。
結局、「高級車は理屈じゃないよ」という週末だった。