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G20

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昨年のリーマン・ショックは世界不況への導入であったと同時に、資本主義社会全体の転換期にもなっていると思う。
このところの世界経済は、借金をして世界中から物やサービスを買い込んでいた米国への輸出の上に成り立っていた。そして、対米輸出によって稼いだ資金が米国の金融市場に還流され、再び世界へと投資される、という米国中心の金融経済であったことも事実だ。
その証拠に、輸出依存のわが国では国内の需給は充分なのに主力メーカーの生産が過剰になって働き手が職にあぶれている。失業者の数は世界で2億人を超えるそうだから、米国の消費量は恐ろしいほど巨大だったわけだ。
今回、この経済システムを維持してきたG8はG20となり、疲弊した“先進国”にくらべ新興国の発言力が大きくなっているそうだ。
だから、夢よもう一度ということで、米国は参加各国に国内総生産(GDP)2%規模の財政出動を求めているが、この期に米国離れをしたい欧州連合はこの申し出に慎重になっているということだ。
さて、わが国は今回も「勿論、米国追従」なのは間違いないのだろうが、政府は今までの米国型経済に乗っけるものを替えるだけで済まそうと思っているのだろうか?

魔女狩り

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別に小沢氏のファンではないが、このところのマスコミ挙げての同氏へのバッシングには大きな違和感を覚える。
小沢氏の“説明責任”が果たされていないのは明らかだと思うが、顔の見えない東京地検特捜部の“説明責任”だって褒められたものじゃあない。国家権力を背景にしている(=逮捕権を持っている)のだから、責任を問われるべきはむしろ東京地検のほうではないだろうか?
「形式上」は小沢氏の公設秘書が被告で、原告が東京地検特捜部、小沢氏は参考人にもなっていない。米国流に言えば「公設秘書対東京地検特捜部」ということになる。まだ裁判だって始まっていないし、マスコミは「今後の展開によっては…」という話をしているだけなのだ。
こんなことでは、もうすぐ始まる「裁判員制度」すら危ぶまれる。
被告になった時点で、“世論”と称するマスコミによって一方的な判断が刷り込まれるからだ。そのうち、アンケート調査で判決が決まる時代が来るのではないか?もし、“意図的”な誤認逮捕でもされたら…。
マスコミは事実を伝えることに専念してほしい。

強風注意!

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急激な気温の変化は、べつに体が弱いわけでなくとも身に応える。その差5℃以上ともなればなおさらだ(今日は前日比-7℃!!)。
いわゆる“地球温暖化”は着実に迫ってきているようで、最近の強風がそれを裏付ける。
以前にもお話ししたように、地球の自転もさることながら、風の大元は気温差から来る。大きな風は雲の動きも変えて更なる温暖化の拍車にもなっている。
どうも温暖化スパイラルに入ってしまったようだ。
気温対策もさることながら、同時に強風対策にも要注意!!ということを旧い実家で強く感じたしだいです。

加熱列島

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この週末の小沢氏に対する報道は異常なものがあった。
まるで異物を嫌い、除菌する加熱器のようだ。
「とりあえず、殺菌しとけっ!」ってなもんで、「人権」を尊重するはずのマスコミは何処に行った?
小沢氏たちはまるで「ばい菌(勿論、犯人と言う意味だが)」扱いで根本的な存在まで消されそうな気がした。
「小沢氏が党首を続けるべきかどうか」というアンケートまで出てきてお祭り騒ぎだ(こんなアンケートは出す方も出す方だが、答える方もどうかと思う)。
裁判が始まる前からの一方的な報道は一人歩きして“世論”を構成している。
ウンザリしていたところに、田原総一郎氏の番組だけが田中真紀子氏を招いて、ロッキード事件にまで言及して小沢氏の違法献金“疑惑”について放送していた。
久しぶりにオピニオンリーダーとしての番組を見て、少しほっとした週末でもあった。

「属国ニッポン」

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今回の東京地検特捜部の動きには拙速感があり、小沢氏が言うように「不公正な権力行使」があるように思われる。そして、田中角栄元首相を「金権政治家」として失脚させた「ロッキード事件」を髣髴させると思っているのは私だけだろうか?

当時、CIAによるスキャンダル工作は功を奏し、第一次石油危機で大打撃を受けた日本経済の反動で「資源外交」を展開していた田中角栄氏は完膚なきまでに叩きのめされた。
結果、石油メジャーの支配を受けないエネルギーの調達方法、すなわちイランのパイプライン計画や日豪原子力プロジェクトは頓挫し、日本の国益は大きく損なわれることになった。
こうした事情から、当時活躍した東京地検特捜部は一部では「米保守本流の別働隊」と揶揄されたものだ。
「何故、この時期に?」「何故、小沢氏にだけに東京地検が動くのか?」という疑問が残るのはこうした苦い経験があるからだろう。

時代は下り細川政権樹立期に小沢氏はその著「日本改造計画」で保守本流のロックフェラー人脈にスカウトされる。その時点で小沢氏は米国の保守本流の枠組みに組み込まれ、田中派から続くスキャンダル・リスクから開放されたのだ(元同派閥の浜田幸一氏がTV番組でよく「アメリカ様に逆らえるわけがない」と言っていたのを思い出す)。
だから、いかに米国が民主党政権に変わったとはいえ、今回の公設秘書の逮捕は寝耳に水のことだったと思う。

今回の政治資金規制法違反の問題は、クリントン国務長官の訪問を受けた直後の小沢氏の“在日米軍削減発言”の後に起きている。財政難の米国にとって“思いやり予算”が減らされるのは泣きっ面に蜂となるに違いない。オバマ政権としては当然容認できない話だ。
だから次期総理に一番近い男に釘を打っておこうとしたのではないのだろうか?
ここに、誰が東京地検特捜部を動かしたのか?の答えがあるような気がする。

その証拠に、麻生氏がオバマ大統領に呼びつけられた直後に急激な「円安」になっている事実を見れば、米国の日本に対する圧力の強さが窺える。きっと、米国債をたんまり押し付けられてきたに違いない。

国連人権委員会からの指摘事項

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民主党小沢代表の公設第一秘書逮捕の決め手となった証拠は何だったのだろう?報道されているところによれば、西松側の複数の証言だけのようではないか?
要は被疑者が献金主を西松建設であったと知っていたかどうかという極めて微妙な問題にかかっているように思う。
東京地検は今回も被疑者の「自白」を頼りにするのだろうか?
こうした自白主義の捜査方法は国連の人権委員会から毎年改善の指摘を受けていて、その証拠に先進国では異例に長い拘留期限があげられているのはご存知のとおりだ。
松岡元農水大臣をはじめ、この自白主義の犠牲者は後を絶たない。
今回の検察の説明に「被疑者自殺の危険性があるため」と言うのがあったがこれは本末転倒ではないだろうか。
怪しいという憶測だけで捕まったのでは堪らないし、捕まえた後でジワジワと自白を強要されるというのも如何なものだろうか?
せめて、逮捕の段階でもう少し具体的な「証拠」が出ていても良さそうなものだと思う。

お詫び

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二月は早いとわかっていても、気付くと「やっぱり早かった」。
今月は新たに立ち上げた「あい倶楽部」の会報の原稿が間に合っていない。
準備が悪いと言えばそれまでだが、一人でやっていると「今月はこれだ!」と言うものが中々みつからない。言い訳のようだが立ち上げたばかりで、“適当”なものをつくるのも嫌だ。
時間の問題もあるのだろうが、今月号は少し待っていただけますようお願いします。
ゆるくてすみません。
「あい倶楽部」へのお問い合わせは
info@idea-staff.com
まで、お願いします。

小節

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麻生内閣の政治ごっこにはほとほとウンザリ感があるが、中川氏のG7の記者会見の映像はダメ押しだった。

一番のショックは、会食をした同行記者団が中川氏の飲酒の事実について“口を割らなかった”ことだ。
事実を正確に伝えないということは、“会食”ではなく大臣の“接待”ではないか?
いまだにある記者クラブの存在といい、ぶら下がり取材といい、マスコミという第四の権力が全く機能していないことを意味する。
マスコミ人としての良心の欠片も感じられないではないのは私だけではないはずだ。
こんな記者たちのつくる報道は、真偽入り混じることになるわけだから、さらに世の中を混乱させる一因となっていることは間違いない。
マスコミというより、日本というシステム自体の一章の終わりを感じている次第です。

お役所の“IT化”

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先日「3年」ぶりの免許更新に免許試験場を訪れた。
免許取得以来「3年」毎の更新は面倒ではあるが、「道交法の改正事項」や「飲酒運転など社会問題化している事件」の連絡業務だと思って、最近は喜んで講習を聞いている。

今回、初めて取り入れられる制度変更は「免許証へのICチップの導入」だった。もう免許証の本籍欄に記載はない。
制度変更とはいえ、免許証自体のレイアウトが変わったわけではないので、少しポッチャリした新しい免許証をながめていると少し間が抜けている感じがする。
ゴシック印字のせいもあって少々“贋作感”すら漂うのは私だけだろうか。
見た目の変更はともかく、ICチップによって変わったのはコレだけ!?

目に見える部分は本籍欄だけでも国が「免許証にICチップを入れる」というからにはこんなもんではすまないはずだ。
そうでなければ、素人目にも“IT化”と呼ぶにはお粗末すぎる。
少なくとも警視庁や警察庁が握っている個人情報くらいは全部暗号化されて入っていると思う。
「個人情報だから」と枕詞のように今回の変更を説明されただけで、警察の握っている情報の確認もせずに免許の交付を受けてしまった私だが、実は国民総背番号制度は既に始まっているのかもしれない。
“個人情報”が国の安全な隠れ蓑になっていくのが怖い。

英語

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 小学校の授業で今春から英語授業が開始される。
 我々のころは中学校からだったから、高校まで含めると6年間は英語に触れてきた。しかし、「英語が話せる人となるとごくわずかなのは何故だろう?」という疑問は自然にあったし、その経験値からして、形として2、3年多く学べたとして、はたして文部省の目論見どおりいくだろうか疑問は残る。それに「英語が話せる」のはどの程度から言うのかもはっきりしていない。
 ある人は「先生が英語で話しかけられても応対できないのに子供に教えれるわけがない」と言う人もいれば、「英語圏の文化も知らないで言葉だけ教えられるか」という人もいる。確かに言葉は文化だ。

 学生時代に米国で「外国人の為の英語授業」を受けた人の話では、その授業に少なからずのショックを受けたそうだ。それは言葉の授業というよりも米国の歴史を中心に(英語で)学ぶ形式だったからにほかならない。やはり、言葉は文化なのだ。
 文法を中心に習ってきた身には、英語は数学的な難しさを感じていたが、英語は(自転車的に)体で覚えるものだとも言っていた。
 英語はよく学問ではないと言われるが、言葉として教えるのか文化として教えるのか、あるいは学問として教えるのか?旺文社のアンケート調査で出た「何をどうやって教えるのかという不安を感じている」という多くの小学校の結果が気がかりではある。

 また、ある友人に言わせれば「英語を覚えるには二つのタイミングがある」そうだ。一つは幼児期に音だけで覚えるタイミングと、もう一つは18以降意味を理解して覚える時期だ。
 幼児期に学習するためには環境としての英語文化が必要であり、大人になってからの学習には理解力が重要になる。そうした意味では、英語学習のはじまりが中学校は勿論、小学生というのも中途半端な感は否めない。
 この報道を聞いて、(語学に堪能な)友人の話が本当であるのなら、小学校に必要なのは英語の授業ではなくて国語力ではないかと思った次第です。

育ちのいい首相

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 ダボスでまた漢字の読み間違いが二十数個あったとして話題になっている麻生氏であるが、今回は、問題が一つ一つの字の読み間違いという次元の低い話だけでは済まされないところにまでマスコミの批評は及んでいる。
 彼はこれまでずっと甘やかされてきた苦労知らずの人間だ。
 彼の私邸を一瞥した人は誰でも察しがつくように、周りの人間がすべてお膳立てしてくれて、衆議院議員の地位はもとより、総理の椅子も労せずして手に入れた人間だ。
 しいて言えば総理の椅子がなかなか空かなかったので少し順番待ちの時間が長かったことくらいで、とても苦労してなった総理とは呼べるものではない。

 おそらく彼はこれまでの人生でも大きな挑戦をに直面したことはないはずだ。
 今回世界が直面する「100年に一度と言われる」経済危機についても彼にとっては同じことで、「100年に…」というフレーズが気に入って使っているだけのようだ。
 同時に公務員改革にさらされている官僚の皆さんにとって、麻生氏は都合のいい首相のようだ。
 彼なら余計なことを考えずに自分たちの指示通りに動いてくれるだろうし、混乱に便乗して出される「通達」にも一々目くじらを立てるわけがない。
 育ちのいい彼の性格は政治姿勢などに余計な意思を持つことはなく、誰にでも笑顔で挨拶がキッチリできるところだ。
 
 今回の「渡り容認」の通達にしても同僚からワイワイ言われて「自分の在任中は容認しない」と言っただけで、官僚の皆さんの了解を得ていなかったから、きっと意地悪をして「言うこと聞かないと恥をかかせるよ」という警告をしたまでのような気がする。
 形だけの指導者は大勢居たが、時期が悪いと酷い目に遭うのはいつも国民だ。

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 私の場合、誕生日付近は全般的に調子が良くないことになっているらしく、今年は月中から珍しく風邪を患って半月ほど本調子ではなかった。
 毎年のことだから「ああ、来たな」くらいのことにしていたが、気が付けばもう節分、一月からずいぶんと損をしたような気がしてならない。

 先週、床上げ(少々大袈裟か?)のとき気付いたのだが、どうも人は邪気に入られたり、体内の気が滞っているから病気になる刷り込まれて育ってきたようだ。その証拠に、体調が戻ってきたら、自然と窓を全開してこもった気を動かそうとしていた。
 節分のときに、大声で「福は内、鬼は外」と叫んで豆をまく風習も家の気を動かして「福をうちに招き入れたい」「鬼(つまり邪気や陰の気)を追い払いたいという願いの表れだと思う。

 以前、玄侑宗久師が邪気を追い払う方法として「桃」の話をされていたことを思い出した。
 この時期、邪気の嫌がる鰯の頭をぶら下げたり、ひいらぎを植えたりして、邪気を追い払うという儀式があるのだが、臨済宗の教えを説いている師は玄関前に桃の木の枝を置くことを勧めていた。
 つまり、邪気に対して邪気の嫌がるもので対抗するのではなく、桃という「無邪気」を差し向けてはいかがだろうかという提案だ。
 桃は対抗しないし、力で押さえつけない、やっつけようともしないという象徴で、「邪気」が純化されて邪気として現れなくなるまで待つ「無邪気」、という姿勢そのものだと言うのだ。

 邪気に対して、悪と決めつけ、同じ邪気の力で対抗すると、果てしない戦いになることは米国がイラクで証明している。
 対決姿勢を鮮明にして白黒を早く付けたがる欧米流の考え方が馴染まないのは過去の日本の教育に「桃」の考えがあったからではなかろうか。
 そういえば、今回風邪が治ったのも、薬のせいではなく、大人しく寝ていたから、時期が来て「邪気」が「邪気」でなくなったからなのかもしれない。

ライオンは足が遅い

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政治の世界で「目くらまし」という手法は(過去この欄で何度も警告したが)、代表的な“手管(てくだ)”の一つだ。
郵政民営化などはその代表で、それに乗ってしまった国民は、いまや魂まで抜かれた感があるのではないか。
こんな筈じゃ無かった!!
前回の衆院選での与党絶対有利で余勢を駆った小泉内閣が「財政健全化」の美名の元に国民に思った以上のイタミを与えているのはご存知のとおり。今や何年か後には消費税率アップのおまけまで付いてきている。
何れにしても、最近の消費税率アップの話も国民に馴れさせるための準備の一つであって、「刷り込み」という「目くらまし」の別バージョンであることには違いない。

最近、その小泉氏が何を思ったか「国会の一院制と議員定数の削減」を言い出した。
引退して三男に議員の家督を譲ると宣言した老将は最後まで“見届けられないカイカク”を提唱しだした。(また、何かあるゾ!)
足の遅いライオンは騙しのテクニックを使わないと中々獲物にありつけないそうだ。だから集団で狩をする。
この人の突飛な言動には注意しなければいけないが、同じ手が何度も使える相手でないことを見せつけてやろうではないか。

郷愁に耽るよりも、、、

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年明け早々、英国の老舗ブランドの経営破たんのニュースが飛び込んできた。
昨秋始まった世界的な恐慌は、250年の歴史を持った陶磁器メーカーをも飲み込もうとしている。
歴史をひも解けば、18世紀に陶工ジョサイア・ウェッジウッドによって起こされた同社は1986年(今から20年以上も前!)に“敵対的買収”の危機にあった。
これに対抗した同社は、愛蘭(アイルランド)の食器メーカー、ウォーターフォード・クリスタル社を“ホワイト・ナイト”として生き残り、最近までウォーターフォード・ウェッジウッド社として存続していた。
日本では、2000年代に始めて知られるようになった“敵対的買収”とか“ホワイト・ナイト”という言葉が、英国では80年代の経済界に踊っていたことは少なからずの驚きではある。

だから、歴史を重んじる(イメージの)英国人にとって、こうした老舗が無くなることは相当のダメージとなっていると思っていたのだが、4半世紀も前からそういう目に遭ってきたわけだから、郷愁はあるにしても我々が想像するような感情ではないのかもしれないと思い始めた。
現に、英国では2005年に老舗ブランドのローバー社が経営破綻の憂き目に遭い、民族系の自動車メーカーは一つも存在しなくなったのだから、きっと、現代の英国人は郷愁を超えたところで逞しく生きているのであろうということだ。

父が最後の車として選んだローバーは淡い水色をしている。
“ウェッジウッド・ブルー”と名付けられたその色は確かに陶磁器の水色をしていて、粋な名前の付けかたに英国のセンスを感じていた。車よりもむしろ車の色の名前が好きなくらいだった。

えっ!ウェッジウッド・ブルーのローバー!?
正月早々潰れた会社のイメージカラーをまとった潰れた会社の車なんて縁起悪~いと思われがちだが、逞しく生きる英国人を思うと、“ウェッジウッド・ブルー”をまとった我が家のローバーはまさに「新時代の幕開けとしての象徴」ではないかと気付くのであった。

2009年正月

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新年おめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。

今年も福聚寺で新年の早朝座禅に参加してきました。
ご住職の玄侑宗久師によれば、今年の干支の己丑(きのとうし)は「乱れた糸筋、筋道をとにかく通し、ごたごたを解消する年回り」であり、「曲がっていたものを伸ばす」という意味も持った年だそうです。
思えば、昨年の元旦に師は「甲子(きのえね)」を「茂る」「増える」年とお話されていましたから干支(=統計学?)の意味にはいちいち頷かされます。
ともかく、昨年までに生い茂った数多の出来事が今年一年かけて解きほぐすことができれば、なんと幸いなことでしょう。
いや、そういう年にしたいものです。

*玄侑宗久師のHP
 http://www.genyu-sokyu.com/yuki/index.html

軟着陸Ⅲ

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ともあれ、投機集中は終息し、資産価格が下落することで実体経済との乖離は解消されバブル経済は収束する。過剰な土地神話に裏付けされた日本のバブルが弾けたときのダメージは記憶に新しい。
ところで、投資行動は、本来長短期の利益を得る事が本来の目的とされているが、バブル期には投資に即応した利益が得やすくなるため、主に転売益(=短期益)に重きが置かれ、配当益(=長期益)は軽んじられるから深刻だ。
投資は、総合して利益を得られれば目的を果たした事になるから、転売益に偏重した投資行動となっても株式活動は活発に見えるから実体経済はさらに踊らされる。
バブル時は、投資のほとんどが機関投資家のもので、実態としては公的年金などを通じて個人から預託、あるいは再委託されたものがほとんどだから、彼らには利益を得る『義務』が生じてくる。
その義務を果たすためにバブルに乗る行動は、機関投資家に言わせれば、個人的欲とは別の「義務的行為の結果」ということになる。
だから、3月期末の年金運用の結果がわかる5、6月頃には「トヨタショック」どころではない影響を受けることになるかもしれない。
今回も軟着陸は相当に難しいと思う。

軟着陸Ⅱ

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経済活動は常に人為的であり、遅速はあるにしても予測は可能なはずだから、今回の不況を「100年に一度」などとまるで人事のように言うお国のリーダーはどこかおかしいと思う。
現在の状況が多くの国民にとって関与不能に近いことは明らかだから、分かりやすい表現を使って言ったのかもしれないが、為政者や権力に近い人たちが本当に“そういう認識”で人ごとであったのであれば、これは大きな問題だと思う。
自分たちの問題(=知っていたということと看過したという2点)を、普通の人々に分散して回避することが目的となり、そうした解決法はリーダーとして“逃げ”であって、最も“卑怯な方法”と言えるからだ。

バブル経済は、価格上昇が前提になって形成された資産価格と実体経済との乖離だから、何らかの切欠けで価格下落が始まると、急速に実体経済は収縮してバブルは崩壊する。
“切欠け”をつくるのはいつも為政者であり、今回の世界を巻き込んだ金融危機はリーマンブラザースに資金を注入しないと米国政府が決定したことが始まりだった。
元凶のサブプライムローン問題が表面化したのは2007年に住宅価格の崩壊が発端だったからもう1年以上経っている。
だから、米国バブルの崩壊を知りつつ日本国の現状を予測して対応していなかった与党の責任は相当重いと言わざるをえない。
ひょっとして、福田氏の職務放棄はこのことを知ったことが原因だったのかもしれない。
そして、今まで権力の蚊帳の外に居た麻生氏だからこそのこうした“発言”だったのかもしれない。

泡の反省

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バブル経済とは、実体経済とはかけ離れた形で資産価格が上昇する状態を言いうが、その資産価格上昇分が背景となって呼び込まれた“投機”が更にそのバブル状態を加速し、中身のない資産上昇はどんどん膨らんでいくという特徴を持っている。
いずれ実体経済との食い違いは解消しなければならない時が来るが、その間、一時的にせよ活発な投資や消費が行われるから、実体経済も活性化して皆のシアワセ気分を盛り上げる。
このため、これを政策的に利用しようとする動きが時折見られる。

今回のサブプライムローンの場合は、あらゆる金融商品に多岐多様に、しかも世界的に組み込まれてしまったため、泡は想像以上に大きく膨らんだ。
そして、それがもともと“双子の赤字”を抱える大量消費国で起こったために被害は増大し、米国に輸出している国々のシアワセ気分がそれを助長したわけだ。
そうした意味で世界の現状は、バブルを意図的に放置した米国政府と黙認した輸出国、さらに“リーマンショック”と言うタイミングの悪いブレーキの掛け方によってもたらされた結果だと言えよう。

このように、人為的な経済活動である結果のバブル経済は完全に天変地異のように予測不能ではないのだから、(ブレーキも握っている)権力側にいる人たちが今の状況を100年に一度の災害に例えるのは当たらない。特に日本国は90年代の経験者だったのだから、、、。

軟着陸

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「ビック4(GM、トヨタ、フォード、クライスラー)の新車販売台数が6ヶ月対前年割れを更新した」と報じられたのは、つい今年の4月のことだった。
住宅のサブプライムローン問題の深刻さが自動車産業でも表面化して一年以上経つわけだから、今度の「米自動車大手の救済法案」が難航するのも無理はない。米国議会では「(自動車会社の役員は)この半年間何してたんだ!」という話になって、いわゆる経営責任が問われているわけだ。

一方、「兆」に上る収益を誇り、実質的に世界一だったトヨタはさすがに破綻の域には達していないが、先陣を切って“人員整理”を敢行した(今期黒字決算の見込みを残して!!)。
それを契機に、派遣社員の解雇が日本経済に与える影響などお構いなしに、名だたる日本企業がこぞって人的リストラ策を発表しているのは何とも許しがたい状況だ。
国策として、政府によるドル買い(円安)や派遣法で守られて散々儲けてきた企業が、世界的金融危機と見るや保身のために素早くこうした行動に出るのは、如何なものか。
現日本国政府はこうした状況で軟着陸を果たせるのだろうか?

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「益」というなら人類益を問うべき時代だろう。
環境汚染、地球温暖化や食糧難、そして今回の世界恐慌と、グローバルな問題が山積していて、どう見ても一部の国や人々に有利になる状況ではない。
もはや「地球全体」が運命共同体なのだから、少なくともその認識の情報を知った者はその瞬間から自益を慎まなければならないところまできていると思う。

どんな状況になろうと自益を優先させようとする動きは出てくるものだが、それらが問題解決をいつも遅らせる。
だから、国政ではもっと高い視点での論議をしてもらいたいものだが、昨日の国会を見ているかぎり、そんな理想からはだんだん掛け離れていくような気がする。
国政に携わる者は、どの党に属していても、党の目標とするところが国民益であるとすれば、国民のシアワセのためには自党内でも意見のぶつかりあいがあっても不思議ではない。むしろ、党としての一致を見ようとするのは却って不自然だと思う。
挙党一致を装うのは、個人益を隠すために全体益を語るという常套手段のようで、どっちが国民のためかという二者択一的な議論で誤魔化されてはいけない。
議員は党に惑わされず、自身の良識に従って行動してほしいものである。
だいたい「国益」などという言葉が出てくるたびに、何かウサン臭いものを感じさせるのは、裏に何かあるためだろう。