記事一覧

浦島太郎

アップロードファイル 144-1.jpg

 あっという間に月日は流れ、クラッシュしたのは3ヶ月も前になっていた。
 この間、意外にも(?)コンピュータを直していただいた☆さんから渓流釣りをご伝授いただけることになり、ついに我が家にも道具が置かれることになった。
 「☆さんの釣りに対する接し方」に惚れたのははあくまで「漁」ではないというところ。
 そのスタイルは「魚にひと時遊んでもらう」ということで貫かれていて、釣れた魚はほとんどリリースされている。なんとスマートであることか。
 ガツガツしない☆さんの生き方に共感している此の頃であります。

 今回のクラッシュを機会に現状と少しづつずれてしまったこのホーム・ページをリニューアルしようと考えています。
 インシュアランス・ニュースはしばらくお休みです。
 

クラッシュ

アップロードファイル 143-1.jpg

 デスクトップを持ち歩いていたら、ハードディスクがクラッシュしてしまった。特に急ぎの時など、うっかり電源をつけっ放しで持ち歩いていたのが原因らしい。
 超高速で廻っている円盤だから、移動させたら例え微振動でも影響が出ないはずはないのだが…。こんな当たり前のことを忘れるなんて、我ながら情けないし、おかげで、もう2週間以上自分のコンピュータが使えない。

 私の中でも「世の中は便利」になってしまって、日頃の生活に油断があったのかもしれない。いや、油断どころか、思い返せば、毎日が隙(すき)だらけなことに気づくわけですが…。
 別に、故障したことだけを反省しているわけではなく、いつも世話になっているコンピュータを大事に扱ってあげなかったことに対する後悔である。
 福聚寺から戴いた御札には「恩を知るは大悲の本なり」とあったっけ…???。

 というわけで、昨日コンピュータについては、ほぼ修復しましたが、メールについてはもうしばらくお待ちください。

ヒンカク

アップロードファイル 142-1.jpg

 横綱のヒンカクを問う人にどれほどの品位が備わっているかは大いに疑問だが、渦中の朝青龍は、引退会見をする以前から辞めるのかどうかというただ一点から議論されていたように思う(その他のことは枕詞のようなものだった)。
 確かに朝青龍の多くの振る舞いには好ましからざるところもあったようだが、そのほとんどは個人の好き嫌いの範疇であり、ヒンカクを持ち出すほどのことは一つもなかったように思う。
 相撲興行にヒンカクをいうなら、相撲協会全体にも言えることで、出来レースだった「理事選」でのな出来事に相撲協会の現実を見せ付けられたばかりではないか。
 あまりに「品格」「品格」と皆が口を揃えていうからTV局まで興行の一部かと思ってました。
 あの人たちは、「ガイジンには絶対に分らない日本の文化」なんて、本気であると思ってるんだろうか?

新しい時代

アップロードファイル 141-1.jpg

 新年をも通り越して、この18日をもって54歳となりました。
 正月のように、素直に喜ばしい事なのか、一歩また死に近づいたことを悲しむべきなのか、「訳がわからない」というのが、今の正直な感想。
 さすがに54回目ともなると、「誕生日」が特別な日でなくなってはいるが、ただ、今まで生きさせていただいたことには、素直に「感謝」を感じています。

 そうした私にとって、(去年の9月30日コラムのとおり)ますます「去年、確かに時代は変わった」ということを確信している。
 この10月からの3ヶ月を観ても、いろいろな仕組み(システム)や決め事(ルール)が実態生活にそぐわない場面が急速に拡大しているのが分る。
 その証拠に、“おとな”達の叫ぶ常識や“通常の…”という言い方には“無理”を感じる機会が多くなってきたし、TVなどに出ている“有識者”の発言にはうんざりするほど“トンチンカンさ”が目だってきているではないか…?
 そろそろ本物のジャーナリズムが生まれる“時”がきてもいい時期だ。
 「足利事件」でも報道機関は検察の非道を伝えるだけではなく、当時本件を警察報道のまま報道でした全てのマスコミは菅家さんに謝罪することから続報をすべきであろう。
 そして、この反省を踏まえるならば、小沢氏の問題も意図的なアンケートを背景にした“民意”を振りかざしている場合ではないのだろうか。
 事件は違うが、被疑者を犯人であるかのように扱うところなど、そっくりのように思う。

我欲

アップロードファイル 140-1.jpg

 鳩山政権が発足した今月は、いろんな意味で時代の変化を強く感じさせられた月であった。それは各省庁に見られた政府の変化のせいであり、マスコミをはじめとする関連システムの戸惑いのせいでもあった。

 時代の変化を特に感じたのは訪米中に世界に向けて発信された首相演説だった。スピード感ではナンバーワンであっただろう。
「日本は、2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する」
というメッセージは正に新しい時代を伝えるに相応しい立派な演説だったと思う。
 この国際公約は、温室効果ガスの地球環境に及ぼす影響の深刻さを物語り、さらにその問題に立ち向かう日本国の姿勢を見事に表すものだったからだ。
 当然、この演説を聞いて地球の存亡がかかっていることを再認識した人や国々からは賞賛された。
 しかし、ご存知のように、肝心の、しかも身内の産業界とマスコミからは、否定的な意見が多く寄せられた。人類の危機が迫っているというに、まだ自益優先を持ち出すか?
 日本の“一流企業”には、酷く嫌悪感を覚える。
 さらに「…25%削減ということは、国民一人当たりXX万円(あまりにも馬鹿げていて数字を忘れました!)にもなる」という一方的なデータまで出て、それぞれが少しでも自益を確保しようとする動きにでている。
 自国益のためには、みんな死んだっていいということか?
 いつから、こんな身勝手な国になってしまったのだろう?
 嘆かわしい次第だ。

ごり押し

アップロードファイル 139-1.jpg

 八ッ場ダムでは「政権交代」が住民の意見をも二分する事態になっている。
 当初、ダム建設に反対していた住民たちはほとんどいなくなり、今、その子孫たちの多くが、建設中止に反対している。
 まさに国の政策に翻弄されて続けてきた住民ともいえるが、それだけ、長い時間をかけて国が、あるいは国土交通省がごり押しを続けてきた結果とも言える。
「国が過ちを犯すわけがない」という不文律は、いろんな場面で、こうして作られてきたわけだが、手の下ろし方を知らない(あるいは下ろしたくない?)国土交通省の役人たちは、どうやって大臣に従い、どう住民の人たちに説明していくのだろうか?。
 彼らの本意はどこに…?

祝!変化

アップロードファイル 138-1.jpg

 一昨日の朝は久しぶりにスッキリした朝を迎えられた方も多かったのではないだろうか。
 特に、私のように生まれた時からず~っと政権を握ってきた自民党政権の下に生きてきて、慣らされ、その様式以外の想像力を奪われてきたと思っている者にとっては尚更そうだ。
 時代はやっと同党の体たらくを嘆く時期を過ぎ、あきらめることを止める時に入った。
 もはや恨みつらみを言うつもりはないし、懐古するには時代が経ち過ぎていると思う。
 新しい時代の歩みとともに、これからは一々あるべき姿を今まで以上に思考できると思うと楽しみである。

再編

アップロードファイル 137-1.jpg

 ご無沙汰しました。
 私はここ二ヶ月強ほど“人事の相談”を請けて依頼人のところに張り付いている。
 組織の再編とという仕事は今風で魅力的だったし、新しいことに向かう仕事はいつもながら気持ちがいい…。

 この間、世の中は豪雨被害の話題に続き衆院選と、なかなか賑やかだったが、そこにノリピ-とインフルエンザが加わってニュース混戦の様相を呈している。
 政権選択選挙は佳境に入っているにもかかわらず、中だるみ感が否めないのは、今回の選挙がやはり長すぎたということだろうか?
 それにしても、「こっちも駄目だが、あっちも駄目」的な報道が長く続いたために、議論が微細な点にわたってしまい、結局“今に不満だ”から「こっちを選ぶ」的なネガティブオプションとなっているのが、私の周りでは趨勢のようだ。
 ただ、ネガティブオプションにしても、政治に対する関心が高まることはいいことで、関心が高まれば監視が高まり、無知を利用する輩が減ることは期待できる。
 今までのように、分らないのにイメージで任せる政治が根絶できれば、今よりましな国になるのは明らかではないだろうか。
 何故なら、組織は変化し続けないとすぐに実態(国民)と遊離してしまうものだからである。

国民の程度

アップロードファイル 136-1.jpg

 「国民の程度」発言は細田氏でなくとも、誰しも一度は思ったことのある感情だと思う。
 大抵はマスコミだったり、政治家だったり、国民!と、まとめて呼んでいる人たちばかりでなく、いつもそう呼ばれている側にも少なからず存在している感情だからややこしい。
 私などは、世論調査や選挙の結果を見るたびにセンスが悪いとか、程度が低いとか、思っていたほうだから、珍しく今回は細田氏と意見を一にした。(細田氏は発言を撤回している)

 しかし、当然「国民」とは、国民そのもののことではなく、伝聞によって作られた一部の「国民」の印象であり、そもそも集合体である「国民」に顔はないわけだから、むしろ、そういう印象を与えてしまった「国民」の側にに責任があるわけではなく、そう受けている受け手の責任であることがほとんどではないだろうか?と思うようになった。
 つまり、印象を語る人の品位が(この場合)「国民の程度」を決定付けていることになる。
 そう思うと、最近は国民の程度を問う前に、自分の品位を恥じる次第なのです。

ブン

アップロードファイル 135-1.jpg

 私の周辺では、いつの間にか「麻生クン」の愛称で呼ばれるようになっていた現首相だが、まだそう呼ばれていた頃は「できの悪い親戚のオジサン」くらいの愛情は残っていたと思う。まだ、彼の本質が判らずに「カンジ読めない」「空気読めない」くらいの情報が盛んに飛び交っていた頃だった。
 新首相は「吉田茂の…」とは知っていたが、出自の良さを一向に感じさせない独特の物腰やたたずまいは、結構不思議な存在だったと思う。それは一点「品」が無かったことだ。
 この時代にバブル並みのグロさは目立ちはしたが、誰も彼に期待する人はいなかったのではなかろうか。
 それでも「解散までのナカツギだから…」と気を許したのがいけなかった。 このままではズルズルと(何もせずに)首相職に居座られてしまう。国民は次に退職金を盗られてしまうのだろうか?

 ご本人は外交が得意だと思っておいでで、さっさとG8に行ってしまったが、得意だと言っていた「経営」にしたところで、麻生セメントや麻生病院は、左前にしたのが太郎氏で、それを立て直したのが優秀な弟であったことは有名な話だそうだ。
 案の定、G8では各国首脳に相手にされていない。
 結局、首相職は麻生氏には荷が重すぎたのだった。
 見栄を張らずに、弟を呼べばいいのに…。

「悲願」

アップロードファイル 134-1.jpg

 実家近くのS市を走る3桁国道(振られた桁数が少ないほど幹線道路)は、やっと、市内に点在していた買収済み用地の工事が始まった。計画からは実に40年近くも経つという。
 これだけ時間が経てば「当時とは状況も変わっているだろう」と計画そのものを見直すのは当たり前だ思っていたが、時は未曾有の不況下、バブル崩壊以降凍結されていたケイカクが一斉にバラマキに利用されているそうだ。
 土建業界など地元の人たちから見れば、まさに「悲願」という言葉がぴったりだと思うが、この計画を知っていた多くの人たちは「彼岸」に行っちゃっているのではなかろうかと皮肉の一つも言いたいくらいの話だと思う。
 わが国の行政は走り出したら止まらないのが特徴で、確かに、見直しや検討していたら「法律を作り直さなきゃなんない」から面倒なのかもしれないが、見直しや検討もしないで、過去に作ったケイカクにそのまま乗っかるという「とりあえず感」が堪らない。
 「どの計画が重要」で「どの計画が不要」かなどという難しい話は判らないが、少なくとも40年前の計画がそのまま現代に則してないのは明らかだろう。
 だいたい、膨大なお金を掛けて立派な道路ができたとしても、少子化で通る人がいなかったら「悲しすぎる話」になってしまうではないか…。

 

売国奴

アップロードファイル 133-1.jpg

 今回の補正予算が「バラマキ」と揶揄されている背景には(日本国政府が100年に一度と騒いでいるわりには)全く「新しい時代」を描けなかったことにあるのは周知の事実であろう。もはや高齢社会成った国に向けての発信だっただけに、我々は確実に不安を募らせられた。
 米国のグリーンニューディールに倣い、環境をテーマにしたところで、モノを大量に作って売りさばき「ナンボ儲けるか」という基本姿勢に変わりなく、ラインに乗っけるものを変えるだけで、ライン自体を変えようとする(あるいは新しい時代に合わせようとする)一番肝心なところが抜けているからに相違ない。「大量生産」の影を引きずっているのだから、瞬間的に「誤魔化し!」と本能で感じてしまうのは、いたしかたのないところか?しかも、新しい生産ラインに環境が配慮されているかどうかもわからない。
 旧いものを捨てるだけで「環境にやさしい」と誤解を与えるような政策に組する輩を放置していいものだろうか?

素のハイブリッド車

アップロードファイル 132-1.jpg

 文化が極度に進歩すると、選択肢は無数に伸びてカテゴリー化するのも難しくなってくる。クルマで言えばスポーティ・ミニバンや同SUVの類(たぐい)、あるいは乗用車の高級化などである。
 技術が進歩したお陰(?)で、べつに体重が重くても、(より軽い車であるかのように)スポーティな「走り感」を実現できる車は多くなった。
 物理的な法則を曲げることなどいとも簡単なようで、電子装置を付けた制動装置や操舵装置などが乗り手に容易にそうした“感覚”を与えることができる。
 しかし、2㌧になんなんとするまで肥大化した乗用車が、スポーツカーと同じレベルで走れると感じるのは“如何なものか?”。
 周りの状況によっては、路面状況が一挙に変わり、乗り手のレベルを超えることだってあり得る。物理的に素直な動きではない分、その限界は高く、そうなった時の立ち直りは困難を極めるだろう。
 こうした限界を高める技術革新が現在の車を今のレベルまで持ち上げていることに間違いないが、明らかに過剰であったことも間違いない。
 
 しかし今、世界は“100年に一度の未曾有の恐慌”と“地球温暖化対策”の中にある。
 直近まで、高付加価値車が肥大化した自動車業界を食べさせるために、必要悪であったことは認めるが、今こそ車の在り方に熟考を促したいものである。
 さもないと、トヨタはプリウスのイメージだけをレクサスに乗せて、重い(=高価な)ハイブリッド車を作ってしまうのではないか、と危惧するばかりである。
 それにしても、政府は今回の優遇税制で廃棄される乗用車のゴミの処分量とハイブリッド車化による大気汚染の清浄化を量りにかけているのだろうか?
 それに、ハイブリッド車の将来の処理費用は…?

生物多様性2

アップロードファイル 131-1.jpg

 前回、「養老猛司さんの生物多様性についてのインタビュー記事」とするところを「養老猛さんのコラム」と誤って記載してしまいました。お詫びして訂正します。
 さて、今回は座禅でお世話いただいている玄侑宗久師のコラム「生物多様性と多文化共生」が地方紙「福島民報新聞」の「日曜論壇」に掲載されていましたのでご紹介します。
 両氏は筑摩書房の「脳と魂」で対談されていましたが、同時期に「生物多様性」についてそれぞれのの観点から述べられていたのが面白いと思いました。

http://www.genyu-sokyu.com/essey/sunday_rondan/rondan-28.html

生物多様性?

アップロードファイル 130-1.jpg

地球規模で環境や経済、食料やエネルギーことを考える時代のような気がします。
養老猛さんのコラムを見つけましたので、今回はHPアドレス添付します。

http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000018052009&cp=1

バーチャル政治

アップロードファイル 129-1.jpg

 やっとなれた“首相職”にしがみ付いている人に、毎度、衆院の解散時期をたずねる報道はいかがなものか?やっとなれたのに、任期満了まで自らの意思で辞めるわけなどないではないか。
 こうしたツマラナイ質問をするマスコミの「質」を象徴するのはTVの“情報番組”だと思う。「もし、~だったら」の話ばかりで現実味に乏しい。今回の小沢氏の件だって、得意の“世論調査”の結果を示して、最近まで事実上退任を煽っていたのではなかったか?
 ところが、辞めたら、辞めたで「説明責任がなされていない」とな?
 では、検察の逮捕に至る説明責任は“充分”だったと言えるのだろうか?小沢氏への批判も権力者に対する陳腐な批判に終わってやすまいか?「公平」「公正」を旨とするマスコミだからこそ思慮の浅さが目立ってしまう。 いっそのこと、良い人ぶらずに「小沢は嫌いだ!」といえばいいのに…。

 鳩山氏が代表になったら「新小沢路線」、岡田氏がなったら「反小沢路線」なんて出演者がシュミレーションで頭の良さを競ったところで何にもならない。我々からすれば、どうなったところで、なってみてから「ああそうか」と思うしかないのだから…。
 我々は、政界がどんな事態になろうと、それを受け入れて、選挙でしか反応できないのだから…。一国民としては、数多のショーを見るよりも地元の事務所に訪れて、やさしく対応してくれるかどうかを肌で感じることが大事だと思う。
 ところで「小沢路線」って何?

「性善説」経営 vs 「性悪説」経営。あなたの会社は?

アップロードファイル 128-1.jpg

雑誌「プレジデント」に表題のテーマが乗っておりましたので、ご紹介します。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090510-00000001-president-bus_all

【Douglas Murray McGregor】
1906~1964。個人と組織の統合について研究し、独自理論を構築した心理学者・経営学者。ハーバード大学で文学博士号を取得後、マサチューセッツ工科大学等で、心理学、経営学の教授を務めた。組織の目標達成をより重視しながら個人を活用するX理論と、個人の成長や自己実現への欲求と組織目標の達成を同時に実現するY理論を提唱、分析した。主著に『企業の人間的側面』(1960)。

日本国憲法第25条-生存権

アップロードファイル 127-1.jpg

 いまだに「生活保護者が低所得労働者よりイイ生活をしているのはオカシイ」とする人たちがいることには驚きを禁じえない。その事実によって、生活保護者の基準が引き下げられつつあるという現実にはもっと驚かされるが…。
 ハローワークを訪れたソーリダイジンが、たとえパフォーマンスとはいえ、求職に訪れていた人に向かって「まずやりたい事を見つけなさい」と中学生に諭すみたいな言い方をするくらいの国家ではいた仕方のない事なのだろうか?
 そして、すぐに日本国は本当に先進国なのだろうか?と言う疑問がわきあがる。まるで、「貧困は個人の自己責任」という考え方であった産業革命以前の英国社会に戻ってしまったかのようではないか。ハローワークに行けば、日本国が先進国の振りをした国家であることが至るところに転がっている。
 先進国であれば、自由主義の理念である「個人の尊厳」を守ることを一義とし、国家による「富の再分配」を積極的に考える新しいリベラリズムの考え方が根付いているはずだ。貧困が個人の責任と言われたのは、単純な資本主義経済の中で働く機会が均等にあった時代の話なのだから…。
 今や個人の生活を形式的にだけでなく実質的にも国家が保障しなければならないほど働く環境は変わってしまっている。しかも世の中は世界的な不況だ。“社会権”の思想なくして、この逆境を乗り切るのは難しいと思う。
 既に米国ではオバマ大統領がこのことに気づいて新しい政策を打ち出しているし、欧州では歴史的な経験からこの概念は根付いている。しかし、残念ながら、まだわが国にはその概念を理解しているリーダーに乏しい。いつまで“小さな政府”の振りをした大きな政府を続けるのだろう?
 今回の“補正予算”にしたところで、既存の大企業の益を最大限に優先して「おこぼれ」を回してやろうくらいにしか見えないのは大いに残念だ。
 貧富の差による経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためにも、速やかな政府による積極的な介入を望むものである。

日本国憲法第25条[生存権、国の社会的使命]
①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

マン・ミニマムvsマシン・マキシマム

アップロードファイル 126-1.jpg

ついに独のダイムラー社はSクラス・メルセデスにハイブリッド・システムを搭載するモデルを発表した。
スペックは3.5リッターV6ガソリンエンジンから出力279hpとモーターから20hを発生し、燃費12㎞/l強を実現する。
発表された燃費が現実的なものだとしたら立派なもので、同じ車重2トン・クラスのレクサスLSハイブリットの9.1㎞/l(雑誌によるテスト)を大きく上回ることになる。本格的なハイブリッド時代がくるのだろうか?

さらに、このハイブリッド車にはレーダーとカメラを用いた安全装備が新しく追加されていて、対向車がいない時にはヘッドライトを自動でハイビームに切り替えたり、車線逸脱を予防する装置が付いている。クルマが発するドライバーへの注意喚起で、睡魔や不注意による誤操作を予防する狙いだ。日本車顔負けの装備ではないか(そういえば、新型の後姿を見ているとトヨタのマジェスタを彷彿とさせる)。

以前、ホンダの理念として「マン・マキシマム-マシン・ミニマム」と言うのがあったが、今や昔、世の中その理念とは反対方向に向かっているようだ。
「マン・ミニマム-安全マキシマム」と、ヒステリックなほどの安全神話は物理的なクルマの自重を忘れさせ、クルマはどんどん肥大化している。過剰なほどのスピードまで錯覚させることはできても、物理的自然現象を制御できるほど人間は進歩しているのだろうか?

環境問題に対しても、距離を制限されたガソリン車とガンガン走るハイブリッド車ではどちらが環境にやさしいのかだって本当のところは判っていないし、13年以前の旧い車の廃車処理だってどれだけのエネルギーを使うかわからないのではないだろうか?

かわら版

アップロードファイル 125-1.jpg

食えない相手に理論を振りかざしたところで話にならないのは自明の事実で、衣食住がある程度足りているということは、話し合いにとって“必要最低事項”なのだと思う。
「窮鼠(きゅうそ)却って猫を噛む」たとえのとおり、北朝鮮政府は“ロケット”の発射実験を布告してきた。
しかし、国内での報道に反して、世界の反応は意外と冷たく、欧州はもとより、頼みの米国にしても「ロケットの発射実験」として冷静に経過観察というところのようだ。あまりの静けさに一人で騒いでいる日本のマスコミはバカみたいだ(韓国の動向は分らないが…)。
ここ数日の報道は過熱気味だし、実際岩手に住む友人もこの状況には怒っていて、「発射の事実が分ったところで、避難行動に出るまでにはコトが終わっているんじゃないの」と言っていた。
見回りのために日本海に出て行く巡視船を映すマヌケな映像(見回りをしたところで何になるんだろう?)を見ていると、今回の報道合戦(=視聴率合戦)は国民の危機感を煽るばかりで無責任極まりないと思う。
ペリー来航時の江戸幕府と何も変わっていない政府対応に驚くとともに、かわら版報道にも呆れている次第です。

ページ移動